1—ピアノ弾き語り科
ピアノ弾き語りは、基本的には楽譜を見ながらはできません。コード進行、メロディ、歌詞の意味など、ほとんどよく憶えて咀嚼してからでないとできません。よく楯か壁のように大きな楽譜を前に立てて弾いている、あるいは弾き語っている人を見ますが、もちろんそれでは恥ずかしいような結果しか得られません。ピアノだけでも弾くのが大変な楽器なのにさらに歌うとなると、これは大変をはるかに通り越していますね。
ナット・キング・コウルがまだピアノから離れずに歌っていた時代は、今で言う「ライヴ」ではなく常に「ショウ」としての良さを求められていたので、彼は客やテレビカメラに向かって笑顔を作り、指は滅多に見られませんでした。もちろん楽譜を見るなんてことはあり得ません。
かつて日本のテレビでアナウンサーに”ジャズ・ミュージシャンとは何ですか?”とくだらない質問をされて、トランペットのクラーク・テリーは真顔でこう答えていました。
—本当のジャズ・ミュージシャンとは、楽器がプレイできて、歌えて、スキャットできる人を言います。
彼やディズィ・ガレスピやジェイムズ・ムーディは、楽器、歌、スキャットがどれもできる万能型でした。僕もいつしか、歌が歌えるが固まってしまって進歩しない人を見ると、”もっとうまくなりたいと思うなら、そこから先はピアノを弾くしかないだろうね”なんて言うようになりました。
ピアノは大変ですが、歌をうまくするにこれ以上のものはないです。サラ・ヴォーンは最初のうちはピアニストでしたね。カーメン・マクレエも日本で弾き語りを披露していました。アニタ・オデイは日本に来たときに、 [You’d Be So Nice to Come Home to] の25小節目のトニック・ディミニッシュのところでディミニッシュ・コードの分解フレイズをやって、ははあ、彼女は相当ピアノでコードを研究してフレイズを作っているなと思わせました。メル・トーメも一時はピアノをやったりドラムを敲いていたりしましたね。こんな話しはいくらでも出てきます。
ボビー・ショート、マット・デニス、ボビー・トループは、いずれもピアノを弾きましたが、弾き語りとしては声が出ないとかピアノがいまいちとかの欠点を持っていました。ウィリー・ザライオン・スミスはピアニストで歌は下手でしたが、それでも臆せずときどき歌を挟み、それも下手などとは思わせないなにか素晴らしい魅力を持った人でした。ちょうど昔のエノケンと似ていますね。エノケンも一見歌が下手でしたが、じつはなかなかうまかったです。
ロウズ・マーフィは、もう普通の尺度では計れないなにか天才的なものを持っていて、聴き手を自分の世界に引っ張りこんでしまう不思議な人でしたね。モダンなジャズとは遠い人でしたが、にもかかわらず魅力一杯の実力に支えられた人でした。ナット・キング・コウルもニーナ・スィモンも最初はピアニストでした。コウルは客に、スィモンは店長に、歌えと言われて仕方なく歌ったのが、歌い始めたきっかけだったんですから驚きです。音大で声楽を何年もやっても駄目な人は駄目ですが、できる人は楽器に関係なく歌がうまいですね。
さてでは、この難しいジャンルを教えるとして、どうしたらいいでしょうか? ピアノがある程度弾けるということが、生徒として受け入れる条件でしょうね。しかしその逆で歌がある程度できている場合も、必要条件として考えてもいいです。そのどちらもできていないという場合は、ピアノだけまたは歌だけでまずはレッスンを受けた方がいいですが、30分の無料体験レッスンをしてあげますから、まずは少し弾き語ってみて、その結果でどういうレッスンをすればいいか考えてみましょう。
弾き語り科無料体験レッスン—30分
入学後のレッスン代は通常の規定に準じます。
2—英文飜訳講座
英文飜訳について勉強します。易しいものはそう問題はないですから、学校教育の英語でも足りるでしょう。難しい英文の訳は、たんに英語解釈の問題にすまされず、訳文そのもの、つまり日本文を正確に理解し組み立てられなければなりません。日本語よりも英語の方が合理的でより哲学的思考があてはめられますから、あるところまでは逐語訳でもなんとかなるものの、あるところからあとは日本文を非常に精巧に長く論理的に組み立てる必要が生じてきます。これが一番難しいです。つまり慣れてくると英文理解は案外容易で、日本文組み立てができないという、変な現象が出てくるわけです。
これは日本語の根幹に潜んでいる非論理性、不合理性による問題と言えるでしょう。難しい文ほど組み立てや論理性に苦労させられ、文は元の英文よりはるかに長くなります。しかもたいていは元の英文より理解しにくくなります。従って訳文はだいたいにおいて元の英文の1.5倍から、2倍になります。英文で500頁の本は日本文でだいたい1000頁近くなり、これは期せずして日本語そのものに存する非論理性、不合理性を証明しています。つらいことですが、これは歴然としていて、文化の質を決定づけていると考えられます。
通訳というのは英語を聴き取る能力が必須ですが、意味さえつかめればそれほど訳文は完璧でなくてもいいわけで、その意味では楽な仕事です。映画の字幕などは、字数の制限が厳しいですし、誰でも使っている日常の言葉でなくてはいけないですから、そこには独特の難しさがあります。この二つは似ているようで質がまったく違いますし、さらにこの二つとも違うのが飜訳です。学術書でいい加減な訳がつけられている例は多いです。アメリカのある学者が書いた水に関するベストセラーが日本で飜訳出版されたとき、出版社からそれをもらいましたが、訳文が恐ろしくひどく、意味がわからなくなり、途中で読むのをやめたことがありました。そしてそのベストセラーはまったく売れずに終わりました。意味の正確さとその構文、これは飜訳の命です。
この英文飜訳講座では、量よりも質に重きを置き、飜訳の難しさ、易しさ、楽しさなどを皆さんに伝えられたらと思っています。体験レッスンはありません。講座は不定期で、申し込みが二人以上になったときに開講し、教室ファーラウト生徒は講座券で、そうでない一般の方は一回2000円で参加できます。題材はそのときによって変わり、また受講者の希望にも添ってやっていきます。時間は100分で、あいだに5分休憩をはさみ、計105分です。