ファーラウトが前の場所から今のところへ引っ越したとき、僕は自分の家も一緒に引っ越し、減量のため大量の本とレコードを処分しました。本はブックオフに電話してダンボール箱に30箱、1400冊ぐらいだったと思いますが、持っていってもらいました。あとで査定の結果を訊いたら、2500円くらい、ほんの20冊ぐらいだけ買い取り対象になるが、あとは引き取りはするが買取対象にはならないとのことでした。僕は1冊100円でも14万くらはいくかな、なんて勝手な計算をしていましたからこれにはびっくりしましたね。それで全部店の方に返品してもらい、奥の窓際に並べて1冊50〜300円くらいで売り始めたのは2014年でしたか。それでも少しずつ売れて20箱くらいまできて、1冊100円前後でももう10万くらいにはなったんではないでしょうか。
それで少し本の間がすいてきたので、先週3箱ほど新たにおろし、150冊ほど新(古)本を出しました。洋書はそうそう売れませんし、辞典もまったく売れませんが、そのなかに1冊、昭和5年ごろに出た斉藤秀三郎(ひでさぶろう)の和英辞典がありました。大きな千頁を超える本で歴史的な名著です。斉藤秀三郎は昭和4(1929)年にこの本を書いた直後に亡くなってしまいまして、このあと英和辞典を出す予定で書き続けていたんですが、残念なことに原稿はHまでで途絶え、それはなりませんでした。彼は桐朋学園大学で小澤征爾の先生だった斉藤秀雄のお父さんです。もう90年も前に書かれた和英辞典ですが、日本の英語教育の歴史に燦然と輝き、今でもその価値を揺るがすような辞典は出てきていません。本当に不思議です。よく大正時代あたりにこれだけ勉強できたと思えるほど、彼の辞典はすぐれていて他の追随を許しません。
斉藤秀三郎
シェイクスピア劇団(多分イギリスの)が東京公演をやったときに、彼は客席から発音が悪いとケチを付けて、係員に追い出されたという有名な話しが残っています。どこまでもすごい人だったようですね。彼の辞典は著作権が切れているのでネットの英和辞典でこれをアップしているサイトがあり、僕は利用させてもらっています。それはネットの良さで和英でも英和としても使える利点があり、最近僕は毎日すごい頻度で斉藤和英の英和利用で世話になっています。本当にありがたいです。まあそれもあって、彼の本を古本コーナーに出したようなもんですね。ところでもう今の日本人は斉藤秀三郎の名前すら知りません。こんな辞典を置いておいても誰も見向きもしませんでした。それが深井さんという永田にお住まいの爺さんがいまして、ファーラウトが開店した2003年頃にフラッと入ってきて、当時70代後半でしたか、それからちょくちょく覗きに来て僕とあれこれおしゃべりしました。
それで今の場所に引っ越してからもときどきやってきて、彼はもう90を過ぎていましたね。医者に毎日2時間歩けと言われたからとそれを律儀に守り、永田から歩いてきたりしていました。それで彼が2016年くらいにやってきて古本を眺め回していて、この斉藤和英を見つけ、定価5000円(今は1万円)くらいのこの本を500円(このコーナーで最高値でしたが)で彼が買って帰りました。ちょっと重いけど、仕方ないわい、と言いながらかついで帰りました。深井さんはこのところ見えないので、実は心配しています。でもまだ存命中かどうか問い合わせるのも、気が引けてしていません。もちろんお年を召していたからですが、斉藤秀三郎の名を知っていた唯一の人でしたね。この棚に出した本は、ほとんど音楽、文学、芸術に関するものばかりですが、本に関心のある方は、どうぞまたファーラウトにいらして、奥の古本コーナーを覗いてみてください。手前味噌になりますけど、いい本ばかりで古本屋で買うよりはるかに安いです。これからも残った4、5百冊の本を随時出していきますから、楽しみにしていてください。
村尾陸男より